自分の使命を全うしている蝉(セミ)には申し訳ないのですが、僕は蝉が苦手です。
毎年夏になると聞こえるその鳴き声に風流を感じるのは最初の1週間くらいでしょうか。
しかしこの先もこの国に暮らす以上は夏になるとそれと付き合っていかなければならないので、このままなんとなく苦手と感じて生活するよりはその原因を特定することで少しは対策が出来るかもしれない、場合によっては愛おしさすら感じるようになるかもしれない、と考えて調べてみることにしました。
蝉を苦手な理由のひとつ、朝から晩まで鳴いていることについて
鳴き声や鳴く時間帯は種類によって異なるため、種類を判別するうえで有効な手がかりとなる。たとえば日本産セミ類ではクマゼミは午前中、アブラゼミやツクツクボウシは午後、ヒグラシは朝夕、ニイニイゼミは早朝から夕暮れまで、などと鳴く時間が大別される。夏に多いとはいえ真昼の暑い時間帯に鳴くセミは少なく、比較的涼しい朝夕の方が多くの種類の鳴き声が聞かれる。(参考元:wikipedia)
蝉が四六時中に鳴いていることに変わりありませんが時間帯で種類は違うそうです。雄の蝉が求愛活動として鳴くというのを考えると他の種類と時間帯を変えることによって求愛活動の効率を上げているのでしょうか?ずっと同じ蝉ではないと知ると、少し優しく聞けるような気がしました。
蝉を苦手な理由のひとつ、蝉の「尿」について
セミを捕えるのに失敗すると、逃げざまに「尿」のような排泄物をかけられることが多い。
これは実際は飛び立つときに体を軽くするためという説や膀胱が弱いからという説もある。体内の余剰水分や消化吸収中の樹液を外に排泄しているだけで、外敵を狙っているわけではない。そのため飛び立つときだけでなく樹液を吸っている最中にもよく排泄する。また、セミの尿はほとんどが水で、有害物質はほとんど含まれない。(参考元:wikipedia)
小さい頃は蝉を捕まえにも行っていたのですが、この逃げざまの「尿」は苦手だった記憶があります。
「食べ物と思っていないものが食べれない」ように根づいた先入観は簡単には消えませんが、これからは水だと思うように努めてみようと思います。
蝉を苦手な理由のひとつ、「蝉爆弾」について
マンションのベランダ等で蝉がその短い命を終えて眠りについているのを見かけることがあります。
蝉を苦手ながら私も同じ生き物として一足先に一生を駆け抜けた蝉の姿に儚さを感じ、ここではないところへ移動させてあげようという優しさが生まれもします。
しかし、そっと亡骸を移動させようとした時にそれは起きます。
「バサバサバサバサバサバサッ、ビーーッ・・」
死んでいると思っていた蝉が突然スイッチが入ったように羽をバタつかせて鳴き暴れる、これが蝉爆弾と言われるものです。
つい先日も経験しましたが、本当にショッキングです。
蝉がきちんと足を閉じていない時はまだ生きている可能性があるようですので参考にしてみてください。
本当かどうかはわかりませんが、蝉に限らず、日本人は虫の鳴き声を言語脳である左脳で判断するようで、外国人は虫の鳴き声を音楽脳である右脳で判断するので蝉の鳴き声は雑音に聞こえるそうです。
日本では古来は野原に蚊帳を持参して虫の鳴き声を聞きに行くという風習があったそうですが・・蝉に関しては鳴き声が大きく、わざわざ聞きに行くような貴重さもあまり考えられません。
調べていく中で蝉が苦手な人の情報が、蝉のことが好きな人の情報に比べて圧倒的に多いように感じました。
一般的にもあまり蝉は好かれていないようで少し同情を感じてしましました。蝉としては知ったことではないでしょうが。
苦手なものを無理をしてして好きになる必要はないと思いますが、知らないまま苦手というのも「らしくない」気もするので、今年の夏は蝉のことを調べて良さを考えてみようと思います。