ozawa

ぼくは英米小説の愛読者かつ小沢健二信奉者で、村上春樹主義者だった

投稿日:

「柴田元幸ゼミの思い出」

柴田元幸という翻訳家の名前は、多少アメリカ文学を読む人なら知っているかもしれない。
また、コアな小沢健二ファンなら、彼の大学時代の恩師であったことを知っているかもしれない。 もしくは、そこそこの村上春樹ファンにとっては、一緒に「翻訳夜話」を出版したり、村上訳作品の監修的な仕事をしている人として有名かもしれない。

ぼくは英米小説の愛読者かつ小沢健二信奉者で、村上春樹主義者だったから、もうかなり昔から知っていた。でも、本人の授業を直接受けることとなるのは、大学2年の後半を待たなくてはならない。本郷の文学部に移った先生が、駒場の教養学部の授業を受け持つ機会が少なくなっていたためだ。そのころぼくは既に法学部進学が決まっていて、このままチャンスを逃すかと思っていたから、急遽冬学期に20名限定の「英米短編小説講読ゼミ」が開講されると知って飛びついたのは言うまでも無い。

受講希望者が多い場合は早い者勝ちとなることがあるので、講義は金曜5限だったが、4限の授業をさぼってその教室に早回りすることにした。教室は異常に分かりづらいところにある上に小さく、中ではまだ前の授業が行われていたので、そのまま外で50分待ってやっと一番乗りを果たした。始まってみたところ、20名募集のところ40名が申し込みだったので、意外とすんなり全員受講OKとなった(後から聞くところによると、文学部の英米文学学科はこの時間に必修が入っていたらしい)。

遅ればせて柴田先生登場、想像していたよりずっと背の小さい人だったけど、眼光が鋭く、いきなり「この授業は11回ありますが、毎回10数枚の英語小説を読んで討論を行います。レポートも11回全て必要です、一回でも出さなければ単位をあげることは出来ません。ついでに言えば全出席全提出しても、この授業は1単位しかもらえません。それでもよければ残ってください」と発表した。はっきり言って相当過酷な条件である。今までどの講義も3分の1以上出たためしの無いぼくにはなおさらのことだった。でももちろん、出て行ったりはしない。

柴田先生はその次に、「始めに読む小説は、これです」とプリントを持ち、恐ろしく渋くてカッコ良い英語の発音で冒頭を少し朗読した。「レベッカ・ブラウンの『folie a deux』という作品です。次回まで必ず読んでレポートを提出してください、今日はここで解散。」と言って初日の授業をそこで終了。

あまりにもすごい人が目の前にいたもんで、その間ぼくはかなり緊張して(冬なので寒いせいもあったけど)ぶるぶる震えていた。みんなが解散したあと、勇気を出して「実はぼく先生と小沢健二の大ファンなんです、最近あまり曲を出さないけど、がんばってますかね?」と話しかけた。先生は一瞬びっくりしたが、「911の時は無事という連絡が来たけどね、どうですか最近の作品、エクレクティックは?」と逆に聞き返してくれた。「ええ、小沢健二の作品はいつも後からじわじわ来るので、今それを感じてるところです。」と答え、「それは全くその通り」と賛同していただいた。

かつてならともかく、ぼくの歳で小沢健二ファンという人が、もうかなり珍しくなっていたらしい。「レポート、がんばります!」と約束して、次週の授業の時には、当小説に関するレポートの他に、勝手に「小沢健二論」を作成して提出した。そのレポートが、このブログの最初に置いてある「小沢健二inフリッパーズギター・序論」である(今から思うと勝手に自分で書いて提出したのがすごく恥ずかしい)
その文章の最初にThe saddest music fan of the worldと書いてあるのは、柴田先生の過去に訳した作品で「世界で一番悲しい音楽」(The saddest music of the world)というのがあって、いわばそれへのパロディだ。

掲載元:http://plaza.rakuten.co.jp/rockscafe/diary/200407300000/ (2004)

小沢健二さんに関する記事で、現在更新が行われていないブログの記事を転載しています。ブログサービスの終了によって失われていく情報が多い中、こういった形で掲載することでファンのために残しておきたいと考えています。また掲載にあたりプライバシー保護の観点から書き手の個人情報となる記述の削除を行っていることや、本人の申告があった場合に記事の削除を行うことを予めご了承ください。

(この記事をシェアする↓)


コメントを残す

サイトや記事に関するご意見・ご感想やライター希望者はFactotum(ファクトタム)までお気軽にご連絡ください。