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小沢健二 『犬は吠えるがキャラバンは進む』なぜか心安らぐ不思議なアルバム

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小沢健二 『犬は吠えるがキャラバンは進む』

なぜか今これを取り上げてみよう。小沢健二のファーストソロアルバム。攻撃的な言葉が並ぶ曲が多いのに、なぜか心安らぐ不思議なアルバムだ。

小沢健二
『犬は吠えるがキャラバンは進む』
東芝EMI(1993年)





1. 昨日と今日
2. 天気読み
3. 暗闇から手を伸ばせ
4. 地上の夜
5. 向日葵はゆれるまま
6. カウボーイ疾走
7. 天使たちのシーン
8. ローラースケート・パーク

小沢健二 『dogs』


東芝EMI(1997年)

タイトル、ジャケットが変更されての再発盤。最初の盤についていた小沢自身によるライナーノーツが無くなっている。小沢自身にとって、このアルバムの必要性がなくなったのかもしれないが、ファンにとってそれはイコールではないことを分かっているのだろうか?

このアルバムにはリアルタイムで聴いていないと分からない要素がたくさんある。例えば、必要以上に音数をそぎ落としたタイトな音作り。アメリカ南部へ回帰するような土の香り。そして、”神様”と”太陽”という言葉。これらはフリッパーズ・ギター時代の自分に対するアンチテーゼであり、今の(当時)彼の立ち位置を明確にする意図があった。表向きは。

小沢本人は否定するかもしれないが、実はこれらの言葉はダブルミーニングになっている。そう、元・盟友の小山田圭吾へ”NO”を突きつけているのだ。小沢よりひと足早くコーネリアスとしてソロデビューを果たした小山田のデビューシングルは「太陽は僕の敵」だった。サウンドも、当時全盛だったいわゆる渋谷系の王道(を超越していたが)と呼べるものだった。小沢はアコギやバタースカッチのテレキャスを武器に、小山田のすべてを否定した。このアルバムとコーネリアスの1stアルバム「The First Question Award」の歌詞を比較してもらいたい。嫌になるほどの暗喩の向こう側に、小山田と正反対のスタンスがハッキリと見える。


そして、暗喩を無視してこのアルバムの歌詞を見てみると、あまりにも露骨に過去を捨てて前に進もうとしている彼の姿が見えるはずだ。もちろん、そのスウィート・マシンガン・トークは止まりそうもないけど、それでも「ありとあらゆる種類の言葉を知って何も言えなくなるなんてそんなバカな過ち」(「ローラースケートパーク」)はしていない。過去の皮肉な言葉たちは季節を表現するような美しい比喩に姿を変えて、罪を洗い流していく涙のように人の心に降り注いでいく。「天使たちのシーン」は、祈りを捧げる人々が通り過ぎて来た小さな情景を短編小説のようにまとめあげた名作だ。ほんの短かな4行詩に描かれた主人公たちは、今も世界のどこかで密やかにその続きを営み続けている。

このアルバムがリリースされた時、タイトルは『犬は吠えるがキャラバンは進む』だった。そこに小沢自身が<蛇足>といいつつ寄せたセルフライナーノーツに記されていた言葉。

「どうかこのレコードが自由と希望のレコードでありますように」

それを決めるのは小沢自身じゃない。僕たちなのだ。だから、このアルバムは今でも、そしてこれからも名作でありつづけることができるのだ。 もう1つ、先のライナーから引用すると、

「ある友達の女の子が出来たばかりのこのアルバムのカセットテープを聴いて、何かゴスペルみたいね、と言った。」 


そうかもしれない。なぜなら「祈り」のアルバムだからだ。

神様を信じる強さを僕に 

生きることをあきらめてしまわぬように 

にぎやかな場所でかかりつづける音楽に

僕はずっと耳を傾けている 

(「天使たちのシーン」)

(2006.6.1)

掲載元:http://privee.blog28.fc2.com/blog-entry-106.html

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