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『小沢健二』どんな時でも、一筋の明かりが見える人

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小沢クンの神様って

小沢健二の歌には「神様」が良くでてくるんですよね。宗教心ではないと思うのに、ここまで神様を書くのは意味があるのかしら?

〔ある光〕
僕の心は震え 熱情がはねっかえる 神様はいると思った 僕のアーバン・ブルーズへの貢献
〔天使たちのシーン〕
神様を信じる強さを僕に 生きることをあきらめてしまわぬように
〔今夜はブギーバッグ〕
僕をそっと包むようなハーモニーこれはいつか神様がくれた 甘い甘い蜜の味
〔強い気持ち 強い愛〕
溢れる光 公園通り 新しい神様たちがパーッと華やぐ魔法をかけるああ 街は深く僕らを抱く!

まだありますが、割愛。

で、いろんなブログや評論に「小沢は、神様に救われたかった」とか「イメージ作りでわざと歌詞に書いていた。」とか訳のわからないことを言われています。本人はあるインタビューで「神様って書くと、じゃあ神様ってなんだって深読みされるんだろうなって思った。」と答えたのに、そのインタビュー記事にはわざわざそれが掲載されなかったという事実もあり。

最後の理由は簡単で、ユーミンが「曇ったバスの窓に指で書く、グッドラック&グッドバイっていうこの歌詞はリアルなんですか?」ってラジオで聞かれていた時、「思いつきよ。だれかがやってたのを見て、それからは想像。」って話してたんですよ。で、この歌好きだったからちょっとがっくりしたっていうか・・・。つまり、わざと書いたとするとがっくりくるから、インタビューでは取り上げなかったし、知らなくていい部分なのです。聞いた人が想像する部分。それを彼は聞く側に投げるつもりだろうし、曲というのはそういうものだと思う。それに本当に深い意味はないと私は思ってるんです。

だって私も、たまに使いますもん。「神様、ありがとう!」とか「神が与えてくれた運命だ。」とか。その神は何だとか言われても困らないかい?
ただひとつだけ言えるとすれば、彼はどんな時でも、一筋の明かりが見える人なのだということ。「神様がいたんだ」と思える人間だということ。これは間違いない。
深い意味ではなく、彼自身のアイデンティティーのひとつでしょ。

私の神様?そりゃあ、小沢健二その人だわよん。

(2007/07)

掲載元:http://ozalog.exblog.jp/i6

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