「ネトウヨ」という言葉が浸透しているが、多くの人が誤解している「ネトウヨ=保守」の構図は保守側の人間にとって大きなマイナスである。ネトウヨと保守の考えの違いについて書いてみようと思う。
ネトウヨの定義
話を進める上でネトウヨを「ネット上の右翼」ではなく、意識的に保守を混乱させる情報を提供する者や行為として今回の話では定義しておきたい。
ネトウヨの行動
先日の安保関連法案のデモの写真でツイッター等で出回った写真がこちら(図1)
こちらの写真は拡散され非常に多くの目に触れたが、こちらの写真はコラージュが指摘されている。
元の写真はこちら(図2)
上の「日本は韓国人のもの」というフレーズが追加されて出回っているのが確認できる。
このコラージュを作成した個人は(モラルは別として)ネタとして軽い気持ちで作成したもの(友人たちの間で楽しむため)に作成したものが拡散されてしまったのかもしれないが、図1の写真を信じ、そしておそらく怒りを込めてRT(リツイート)した人も多いのではないかと考えられる。
確かに「安倍」の「安」の字は間違えているが、それだけで「在日」などと決めつけるのは早い。
ネトウヨは野党や中韓に対して誹謗中傷も一線を越えている発言が多く、情報に誤りがあった場合に謝罪をしないというのも特徴である。
ネトウヨによって保守側の立場が弱くなる
ネトウヨの目的を断定するのは難しい、なぜなら組織的なものと個人の快楽(愛国心やアフィリ目的など含む)とあると考えられるからである。しかし先の定義にあるように「保守層を混乱させる情報を提供する」の考えからネトウヨの行動で導き出される結果は「誤った情報により保守の力が弱くなるということ」である。
誤った情報を元に声を上げた場合(すぐに「元の情報」が出回る)、その情報を信じていた人たちの声に対して疑いの目が向けられるという構図は肝に免じておかなければならない。ネトウヨは保守の味方のようで実は保守の足を引っ張っている存在なのである。愛国心や愛国という言葉もよく使われているが「愛国」を考えれば誤った情報を流すべきではないことは保守の人間からすれば明確である。
知識やモラルを併せ持っていないとマイナス要因になる可能性もある
歴史戦だと、サンフランシスコ慰安婦碑公聴会で慰安婦婆さんを嘘つき呼ばわりした人物やその追随者は慰安婦銅像や慰安婦碑を建てて欲しいのかね。公聴会で歴史の真実を叫んでどうするよ。公聴会で討論はできないのだ。慰安婦碑を建てさせないように腐心する場だ。戦略も戦術もないアホとは共闘できん。
— 馬場信浩 (@schoolwars1) 2015, 9月 27
戦略も戦術もないアホとは共闘できん
本来日本に暮らす人が日本の国旗に誇りを持ち、そして掲げることは問題ではないのにも関わらず、日本の国旗を背負うと「危険な人」のようなイメージが国民の多くにあるのは、植えつけられた負の印象が強いためではないだろうか。
保守の定義
最後になってしまったが、(日本の)「保守」の定義について。
今回の安保関連法案のデモの中で反対派の中に「自分たちは保守派」という声も見かけた。
保守というのは多くの人が考えるように「現状維持を続けることを望む考え」というのは正しいが、もう少し言葉を付け加えるなら「現状維持をするために歴史や過去の情報を元に必要に応じて改革をする考え」である。
異なる立場の声に耳を傾ける大切さ
例えば夫婦の喧嘩があれば2人の言い分は異なり、友人である一方の話を盲目的に信じることは美しいことのようで、冷静に判断をするにはもう一方の話も聞くこと(合わせて2人)が大切だと私たちは知っている。ネトウヨの情報に振り回されないためにも自分の考えとは全くサイドの情報を仕入れておき、集めた情報から自分で判断をしていくしかない。
ネトウヨは頻繁に野党を誹謗中傷するが野党もまた必要な存在であり、自分と異なる立場の声を拾い上げずに判断をするのはとても危険である。
しかし今回の安保関連法案では野党から内容についての議論があまりなかったのが残念だった。安保法案に賛成しながらもなぜかしっくりこない人たちが本当に求めていたのは偽情報やプロレスや喪服のパフォーマンスではなく、「個別的自衛権で本当に守れるかどうかの検証」ではないか。
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