参院で審議が続く安保法案関連に反対する広島の市民が人文字で「NO WAR NO ABE」をつくって抗議の声を上げたというニュースを見ました。以前から使われる「NO WAR NO ABE」、このフレーズに違和感を感じてしまいます。
(photo:共同/掲載元:http://mainichi.jp/select/news/20150914k0000m040017000c.html
NO WAR NO ABE
@maruchan777jp 中丸さんのツイートで気がついたのですが、先週の日曜日にやっていた戦争イケンみたいなデモでもらったビラの裏… pic.twitter.com/OSTzhTdeSi
— せん(4t部隊) (@century_black) 2015, 9月 10
SEALDsはWE WILL STOP(私たちは止まる?)とも言っているようですが、今回の場合はWE WILL MAKE IT STOP(私たちは止めてみせる)の方が良いような。こうした活動をしなくてよいのはゴールでもあると思うので、間違ってもいないような・・うーん。
“NO MUSIC NO LIFE”(音楽のない生活はない)の解釈では「戦争なくして安倍はない(?)」となり、戦争したいの意味になるような・・。
ましてやNO WAR NO LIFEになると「暮らしに戦争はいらない」ではなく「戦争無くして暮らしはない」になってしまい、その意味で受け取る海外の人もいるかも?どっちの主張なのかわかりにくいです。
NO WATER NO LIFE(水がなければ生活はない)やNo pain, No growth(痛みなくして成長はない)のように「NO◯◯,NO▲▲」は「◯◯なくして、▲▲はない」が現状では世界の標準的な使われ方と思います。海外の人に意味は通じると思いますが、問題の声を届けたいのは国内の人へでは・・。
“I’m not Abe”(私はアベではありません)は文法は間違っていますが、意味は通じるように思います。
例えば「壁ドン」は非リア充がリア充の部屋の壁を叩く意味で使用されていましたが、今では男性が女性に対して壁際で迫るロマンチックな行為を指す言葉になったように、言葉の使われ方や意味は変化していきます。短く伝えられるので今後I’m not ◯◯が「私は◯◯を支持しない」として使われていくかもしれません。考えたら「No ◯◯」で十分か・・。。
今回の場合だと「NO ABE NO WAR(安倍がいなければ戦争はない)」であれば反対する意味になると思います。
しかし首相が変わったところで問題は解決するのでしょうか?本来の問題は先延ばしになるだけのような気もします。
日米安保法案の問題は2点、「アメリカに判断が偏る可能性(自主的な判断ができなくなる可能性)」、そして「審議の過程が強引(違憲?)ではないか」だと思います。
外出時や夜に家の鍵をかけないのでしょうか?
例えるなら家に鍵をかけるように防犯(防衛)は必要で、地域(世界)の秩序を守って上手くやる必要があります。
家の鍵をかけない世界の方が美しいのはわかりますが、実際にそれができる日はまだ遠いように思います。
海外でも今回の反対活動は注目されているようでこちらの記事は海外からのアクセスも増えています。日本人は海外のメディアの声が紹介されるとそれをその国の「世論」のように受け取りがちで、これはとても危険です。どういったメディアなのか調べなければなりません、何より「メディアは数字が大切」ということを忘れないようにしましょう。
その他お詫び:私も日本語の文法がデタラメで非常に恐縮です。日本全国の「アベさん」は不快なんだろうなあ。
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