レミー モーターヘッド

【RIP】モーターヘッドのフロントマン、レミーの急逝をバンド公式Facebookが報告

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世界はもちろん日本でも人気の高いロックバンド、モーターヘッドのフロントマンであるレミー・キルミスター(70)が2015年12月28日に亡くなっていることがバンドの公式のFacebookで発表されました。

今年は日本でも来日講演を行ったりと積極的に活動していましたが、ロックのアイコンとしてとても人気のあったレジェンド「極悪レミー」の突然の死に多くのファンやミュージシャンが追悼のコメントを寄せています。

Motörhead公式facebook
https://www.facebook.com/OfficialMotorhead/

Motörhead

デビューから35年以上もの間、一貫して大音量かつハイスピードのロックンロールをその音楽性の軸として活動しており、スラッシュメタル、ハードコア・パンクなどが出現する遥か以前から、それらの音楽性を包括するサウンドを展開してきた。
商業的にも音楽的にもカテゴライズの困難なロック・バンドのひとつであり、時代に応じてハードコア・パンク、ヘヴィ・メタルと、複数のカテゴリに横断的に分類された経緯がある。

創設者であり、モーターヘッドのスタイルを作り上げてきた中心人物であるレミーは、世間一般がモーターヘッドのサウンドを「ヘヴィメタル」「スピードメタル」などにカテゴライズすることを好ましく思っておらず、「ヘヴィメタルよりむしろパンクの方により親近感が湧く」「ダムドとは共通の美意識を持っているが、ブラック・サバスや、増してやジューダス・プリーストにはそんなもの感じない」とも述べている。その一方、ノー・モア・ティアーズでオジー・オズボーン、ザック・ワイルドと曲を共作している。
レミーはラモーンズに曲を提供したり、ダムドとステージで共演した。

Motörheadバンド・ヒストリー

一時期4人編成(ツイン・ギター)だった時期もあるが、活動期間の大部分でギター、ベース、ドラムスのトリオ編成を貫いている。現在まで全期間在籍しているのはリーダーのレミーのみであり、実質的にレミーのバンドである。
“ファスト”・エディ・クラーク(ギター)、フィルシー・”アニマル”・テイラー(ドラムス)を擁した1970年代後半から1980年代初頭が最初の黄金期で、その極めて個性的な音楽性にもかかわらず、『エース・オブ・スペーズ』(Ace of Spades)をはじめいくつかのアルバム、シングルをイギリスのトップ40チャートに送り込んでいる。特に1981年にリリースしたライブ盤『ノー・スリープ・ティル・ハマースミス』(No Sleep ’til Hammersmith) はこの時代の金字塔である。

1982年に・エディ・クラークが脱退し、後任に元シン・リジィのブライアン・ロバートソンを迎えて『悪魔の化身』(Another Perfect Day) をリリースするが、メロディアスなフレーズを多用した作風は旧来のファンの失望を招く。レミーは素早くこの事態に対処し、ロバートソンに代えてフィル・キャンベル、ワーゼルを起用。バンド史上初の正式な4人編成となって、シングル「キルド・バイ・デス」(Killed By Death)、過去のベスト・トラックを収録したコンピレーション・アルバム『ノー・リモース』(No Remorse) をリリースして体制を立て直す。

その後は、何度かメンバーチェンジを繰り返しながらも一貫して従来のモーターヘッド・サウンドを守り通し、1995年からは再びトリオ編成に戻った(ギターは1984年に加入したフィル・キャンベル、ドラムスは1992年の『マーチ・オア・ダイ』(March ör Die) から参加するミッキー・ディー:元キング・ダイヤモンド、ドッケン)。このラインナップはグループ史上最も長く続いており、1970年代~1980年代の最初の黄金期を凌ぐ数の作品を発表し、現在も精力的に活動を続けている。

レミー・キルミスター

レミー(Lemmy)、あるいはレミー・キルミスター(Lemmy Kilmister)の芸名で知られるイアン・フレイザー・キルミスター(Ian Fraser Kilmister 1945年12月24日 – 2015年12月28日 )はイングランド・スタッフォードシャー出身のロック・ミュージシャン。イギリスのロック・バンド、モーターヘッドの創設者にしてリーダーであり、グループではベース、激しいダミ声を使ったボーカルおよび大多数のレパートリーの作曲を担当する。

ストーク・オン・トレントで生まれ、ウェールズのアングルシー島で育った。
少年時代からライブに通い、駆け出し時代のビートルズも見ている(そればかりか、ジョン・レノンが客と殴り合いをするところまで目撃したと語っている)。
1960年代にはジミ・ヘンドリックスのローディをしていたという。タブラを使用した異色ロックバンド、サム・ゴパル(SAM GOPAL)でボーカル、ギターを担当した後、1974年にサイケデリック・バンド、ホークウインドにベーシストとして加入、同バンドの全盛期を支えたがドラッグの問題などでバンドを解雇される。その後、大音量で演奏するフリークアウト・ミュージックをコンセプトに自らが率いるモーターヘッドを結成した。

以来30年以上に渡り、モーターヘッドの不動のフロントマンとして活動中。この間、パンクロックの興隆とハードロックの衰退、NWOBHMの勃興と世界的なヘヴィメタルブーム、オルタナティブ・ミュージックの台頭など音楽シーンは激動するも、彼の創り出す独特の爆走型ロックン・ロールは不変であり、どの世代からもどの時代のミュージシャンからも支持され続けている。それぞれの時代で若手のバンドをツアーに帯同させてチャンスを与えるなど、常にシーンの兄貴分として敬愛され続ける存在でもある(ガールスクールやタンクを発掘したのも彼である)。

参照元:
http://www.spin.com/2015/12/motorhead-lemmy-dead-ian-fraser-kilmister-70-rip/
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%98%E3%83%83%E3%83%89
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%AB%E3%83%9F%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC

ありがとうレミー。安らかに。


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