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日本は安楽死を認めるべき?「死ぬ権利」法案が可決(米カリフォルニア州)

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最近、日本で安楽死や尊厳死がなぜ認められないのか?高齢者など特定の条件で認められないのだろうか?と日本の問題や他の国の事例について調べています。そんな中、今日入ってきた記事によると米西部カリフォルニア州の議会は、安楽死や尊厳死をめぐる「死ぬ権利」法案を賛成多数で可決したそうです。

日本は安楽死を認めるべきなのでしょうか?真の「Quality Of Life」とは。

米西部カリフォルニア州の議会は、安楽死や尊厳死をめぐる「死ぬ権利」法案を賛成多数で可決

米西部カリフォルニア州の議会は、安楽死や尊厳死をめぐる「死ぬ権利」法案を賛成多数で可決した。

AP通信などが報じた。ブラウン州知事が法案に署名すれば発効するが、キリスト教の神学校に通っていた同知事は、署名の可否について明らかにしていない。

法案が提出されたきっかけは、昨年11月、末期の脳腫瘍と診断され、カリフォルニア州から、尊厳死が合法化されている西部オレゴン州に移住したブリタニー・メイナードさん(享年29)の死。メイナードさんはインターネット上に動画で尊厳死を予告する映像を公開し、実行。全米で大きな反響を呼んだ。メイナードさんは生前、ブラウン知事に尊厳死を認めるよう要請したことでも知られる。

州下院では賛成43、反対34で、州上院でも賛成23、反対14で可決した。

カリフォルニア州で法案が発効されれば、モンタナ州、オレゴン州、ワシントン州、バーモント州、ニューメキシコ州に続いて6番目となる。
(掲載元:http://news.livedoor.com/article/detail/10585215/)

安楽死について考えるきっかけ

7月8日、千葉地裁で「懲役3年、執行猶予5年」と下された判決は、宮本浩二・被告(仮名・93歳)が当時83歳の妻に対する「嘱託殺人未遂(妻の死亡後、嘱託殺人に訴因変更)」に関するものだった。昨年11月8日、痛み止めの薬も効かず苦しむ妻を見かねて夫が手をかけたのだが、死ぬ間際まで夫妻は仲睦まじかった。

この悲しいニュースが記憶に残っている人は多いのではないでしょうか。

老老介護殺人 最後の夜、夫は妻に楽しい思い出を語り続けた

日本が抱える高齢化社会の問題
老老介護やシングル介護などで家族が共倒れする危険性や、介護疲れによる心中事件や殺人事件の社会問題。今後高齢化社会の進行によって家族が共倒れする危険性が日本では増えています。他にも現在日本は「下流老人」と呼ばれる老後に経済面から貧しい暮らしを強いられる老人が問題になっています。

尊厳死の定義

「尊厳ある死」(Death with Dignity -本来の意味での「尊厳死」) とは、人間としての尊厳を保って死に至ること、つまり、単に「生きた物」としてではなく、「人間として」遇されて、「人間として」死に到ること、ないしそのようにして達成された死を指す。

安楽死も尊厳死と言えますが、治療を患者の意思で行わないことが日本では尊厳死と呼ぶことが多いようです。

安楽死の定義

苦しい生ないし意味のない生から患者を解放するという目的のもとに、意図的に達成された死、ないし その目的を達成するために意図的に行われる「死なせる」行為。

安楽死決定のプロセスに関する区分

自発的安楽死

患者本人の意思による場合

非自発的安楽死

患者本人に対応能力がない場合。典型的には新生児で重度の障害がある場合の安楽死が問題になるときには、この部類に含まれる。

反自発的安楽死

患者本人に対応能力があるにもかかわらず、意思を問わずに、あるいは意思に反して決定される場合。 これは稀であろうし、もちろん倫理的には認められないであろう。

安楽死が合法化されると、本人の意思に反して家族などから安楽死の選択を強いられる問題も発生する可能性がある。

倫理学と安楽死

人間性や人格的な完全性を生物学的な生命や機能よりも上に置く価値体系を持った倫理学では消極的安楽死のみならず積極的安楽死も道徳的に擁護される

消極的安楽死については医療従事者によって実際に行なわれているだけではなく、あらゆる宗教においても認められており消極的安楽死の是非を巡る議論は倫理的には既に解決済みである

どんな場合においても生命の延長を道徳的に擁護しようとすることは生命至上主義的見解(生物学的な生存を1次的な価値とし、個性や尊厳、幸福や抑制などの他の価値を2次的なものにする見解)にすぎない

現代医学の発展によって、「人間的な思いやり」から「生命の尊厳」に基づく伝統的倫理は「生命の質」を重視する倫理学に道を譲るべきだと主張。メタ倫理的には、最高善を「生命そのもの」ではなく「人格の完全性」や「人間の幸福」にあると考えれば、おのずと積極的安楽死も消極的安楽死も認められるものと指摘。

「人間的な思いやり」から「生命の尊厳」に基づく伝統的倫理は「生命の質」を重視する倫理学に道を譲るべき。

(掲載元:ジョーゼフ・フレッチャー(1973=1988)加藤尚武・飯田亘之 [編] 『バイオエシックスの基礎――欧米の「生命倫理」観』,東海大出版会,1988年.)

オランダの安楽死の事例

オランダでは安楽死が合法で、現在は「安楽死専門のクリニック」増えており、2005年から2010年にかけて死亡した患者のうち、安楽死を要請した人の割合は4.8%から6.7%、安楽死を容認する医師の割合も37%から45%となった、と報告されています。

「オランダでは、1980年代から積極的安楽死を巡る議論・実態調査を踏まえて、2001年4月には安楽死を合法化する刑法改正に至りました。ただし、そこに至る社会的背景として、ホームドクター制度の充実、インフォームドコンセントの徹底、医療保険制度の整備等が存在することを見逃してはいけません」(掲載元:http://www.bengo4.com/other/1146/1288/n_1092/)

オランダと日本の社会背景の違い

日本では安楽死が法律上難しい

「『安楽死』には、『間接的安楽死』、『消極的安楽死』、『積極的安楽死』の3類型があります。投薬による安楽死処置は、このうち積極的安楽死にあたります。この積極的安楽死は、直接的に患者の生命を短縮することから、形式的には殺人罪(刑法199条)ないし嘱託・承諾殺人罪(刑法202条後段)に該当します。このため、現行法上で合法的に積極的安楽死を行うためには、何らかの理由によって『違法性がない(違法性が阻却される)』と認定される必要があります」(掲載元:http://www.bengo4.com/other/1146/1288/n_1092/)

私たちがイメージする一般的な投薬による安楽死処置などは「積極的安楽死」に分類され、形式的には殺人罪(刑法199条)ないし嘱託・承諾殺人罪(刑法202条後段)に該当する。

安楽死が違法性がないと判断されるための基準

積極的安楽死について、「違法性がないと判断されるための基準」はあるのだろうか?

「名古屋高裁・昭和37年12月22日判決は、以下に挙げる6つの要件があれば『違法性が阻却される』と判断しました。

(1)病者が現代医学の知識と技術から見て不治の病におかされ、しかもその死が目前に迫っていること
(2)病者の苦痛が甚だしく、何人も真にこれを見るに忍びない程度のものとなること
(3)もっぱら病者の死苦の緩和の目的でなされたこと
(4)病者の意識がなお明瞭であって意思を表明できる場合には、本人の真摯な嘱託・承諾のあること
(5)医師の手によることを原則とし、医師により得ない場合には特別の事情があること
(6)その方法が倫理的にも妥当なものとして認容しうるものであること」

横浜地裁・平成7年3月28日判決が、次の4要件により、違法性阻却要件を判断しました。

(a)患者が耐え難い肉体的苦痛に苦しんでいること
(b)患者の死期が迫っていること
(c)患者の肉体的苦痛を除去・緩和するために方法を尽くし、他に代替手段がないこと
(d)生命の短縮を承諾する患者の明示の意思表示があること」

日本の安楽死について、今後

日本にも安楽死についての基準は存在しているものの、条件が全て満たされたごく例外的な場合にのみ医師による処置が可能というものであった。安楽死が今後日本で認められていくには、安楽死の社会的な容認や、法律やガイドラインの整備など問題は多いようです。

「Quality of life」

クオリティ・オブ・ライフ(英: quality of life、QOL)とは、一般に、ひとりひとりの人生の内容の質や社会的にみた生活の質のことを指し、つまりある人がどれだけ人間らしい生活や自分らしい生活を送り、人生に幸福を見出しているか、ということを尺度としてとらえる概念である。QOLの「幸福」とは、身心の健康、良好な人間関係、やりがいのある仕事、快適な住環境、十分な教育、レクリエーション活動、レジャーなど様々な観点から計られる。(参考元:wikipedia)

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