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禅(ぜん)とは何か

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禅(ぜん)とは

「文字で伝えられた教えの外にある、ブッダの心を伝えよう」というところから生まれたもので「禅(ぜん)」や「禅宗(ぜんしゅう)」というのは仏教の教えの一種です。主な流れに曹洞宗(そうとうしゅう)と臨済宗(りんざいしゅう)があります。禅は単に宗教の一派であるにとどまらず、日本文化全体に大きな影響を与えています。茶道、書道、剣道、弓道といった「道」と名のつくものには、「謙虚に自分を抑えてひとつのことに専念して、一事を極めて、高い境地に達することを美徳」としているなど禅の影響を強く受けていると言えます。禅の究極の目的は、ブッダ(釈迦)の悟りを直接体験することにあり、自分の内なる仏に目覚めることで苦しみから解き放たれるというものです。

もう少し詳しく、禅について

禅宗(ぜんしゅう)の略で、単に「禅」という場合は一般に「禅宗」を指す。禅宗では、自宗と自宗以外のすべての教宗とを区別する意味で「禅宗」と自称する。
南インド出身で中国にわたった達磨が祖で、坐禅を基本的な修行形態とする。ただし、坐禅そのものは古くから仏教の基本的実践の重要な徳目であり、坐禅を中心に行う仏教集団が「禅宗」と呼称され始めたのは中国の唐代末期からである。こうして宗派として確立されると、その起源を求める声が高まり、さかのぼって初祖とされたのが達磨である。それ故、歴史上の達磨による直接的な著作は存在が認められていない。伝承上の達磨のもたらしたとする禅は部派仏教における禅とは異なり、了義大乗の禅である。
中国禅は唐から宋にかけて発展したが、明の時代に入ると衰退していった。日本に純粋な禅宗が伝えられたのは鎌倉時代であり、室町時代に幕府の庇護の下で発展した。明治維新以降は、鈴木大拙により日本の禅が世界に伝えられた。(禅/wikipedia)

日本の禅の歴史

日本には、公式には13世紀(鎌倉時代)に伝えられたとされている。だが、9世紀(平安時代前期)に皇太后橘嘉智子に招かれて唐の禅僧・義空が来日して檀林寺で禅の講義が行われたものの、当時の日本における禅への関心の低さに失望して数年で唐へ帰国したとする記録が残っている。また、日本天台宗の宗祖最澄の師で近江国分寺の行表は中国北宗の流れを汲んでいる。臨済禅の流れは中国の南宋に渡った栄西が日本に請来したことから始まる。曹洞禅も道元が中国に渡り中国で印可を得て日本に帰国することから始まるが、それ以前に大日房能忍が多武峰で日本達磨宗を開いていた事が知られ、曹洞宗の懐鑑、義介らは元日本達磨宗の僧侶であったことが知られている。
鎌倉時代以後、武士や庶民などを中心に広まり、各地に禅寺(禅宗寺院・禅林)が建てられるようになった。また、五山文学や水墨画のように禅僧による文化芸術活動が盛んに行われた。
中国から日本に伝わる禅の宗派に25の流れがあり、臨済宗から独立した黄檗宗を含めると47流になるとされる。(禅/wikipedia)

日本禅宗25流
曹洞宗
・道元派 入宋僧 永平道元 1223年入宋し天童如浄の禅を伝灯
・東明派 来日僧 東明慧日 1309年来日し直翁徳挙の禅を伝灯
・東陵派 来日僧 東陵永璵 1351年来日

臨済宗
・黄龍派
千光派 入宋僧 明庵栄西 1187年入宋し虚庵懐敞の禅を伝灯
・楊岐派
聖一派 入宋僧 円爾 1235年入宋し無準師範の禅を伝灯
大覚派 来日僧 蘭渓道隆 1246年来日し無明慧性の禅を伝灯
法澄派 入宋僧 心地覚心 1249年入宋し無門慧開の禅を伝灯
法海派 入宋僧 無象静照 1252年入宋し石溪心月の禅を伝灯
大応派 入宋僧 南浦紹明 1259年入宋し虚堂智愚の禅を伝灯
兀庵派 来日僧 兀庵普寧 1260年来日し無準師範の禅を伝灯
大休派 来日僧 大休正念 1269年来日し石溪心月の禅を伝灯
西礀派 来日僧 西礀子曇 1271年来日し石帆唯衍の禅を伝灯
無学派 来日僧 無学祖元 1279年来日し無準師範の禅を伝灯
鏡堂派 来日僧 鏡堂覚円 1279年来日し環溪唯一の禅を伝灯
一山派 来日僧 一山一寧 1299年来日し頑極行弥の禅を伝灯
古先派 入元僧 古先印元 1318年入元し中峰明本の禅を伝灯
仏慧派 来日僧 霊山道隠 1319年来日し雪厳祖欽の禅を伝灯
中厳派 入元僧 中巌円月 1325年入元し東陽徳輝の禅を伝灯
清拙派 来日僧 清拙正澄 1326年来日し愚極智慧の禅を伝灯
明極派 来日僧 明極楚俊 1329年来日し虎岩浄伏の禅を伝灯
竺仙派 来日僧 竺仙梵僊 1329年来日し古林清茂の禅を伝灯
愚中派 入元僧 愚中周及 1341年入元し即休契了の禅を伝灯
大拙派 入元僧 大拙祖能 1344年入元し千厳元長の禅を伝灯
別伝派 来日僧 別伝明胤 来日し虚谷希陵の禅を伝灯
黄檗派 来日僧 隠元隆琦 来日し費隠通容の禅を伝灯

坐禅(ざぜん)とは

足をあぐらのような形に組んで、長時間座るのが坐禅です。「精神力を養う」というような、一種の精神鍛錬の苦行として語られることがあります。

「坐禅で大事なのは何も考えないこと」と誤解している方が多いようですが、禅のお坊さんもそれは誤りであると戒めています(「何も考えないというのなら、酒でも飲んで寝ていた方がましだ」)。何かに没頭して「自分はこれをやっている」という意識がなくなり、無心になったことはありませんか?禅で大事なのは何も考えず座っていることではなく、全身全霊をかけた積極性なのです。

坐禅と瞑想の違い

坐禅は瞑想とは違い、自分の内面にひきこもることをしません。むしろ禅は、外の世界に開かれて、全身で世界を感じる心構えが必要とされてます。

「体で実践する禅は、観念的カトリックよりも優れた世界宗教である」・・人は生身の生き物であり、精神的な心だけの充足のみを観念的に突き進むのではなく、坐禅という行動・実践を通して心身を統一し、平穏を手にし、バランスを極めた上で、肉体的精神的調和があるという意味でしょうか。

まとめ

いかがでしたでしょうか?禅では、慣れや先入観にとらわれることなく、昨日と同じ物事に対しても、ひとつひとつ、「一期一会(いちごいちえ)」の心持ち、生涯に一度だけめぐりあう機会として接しようと考えます。全ての禅の考えを実践していくことはとても難しいことですが禅の智恵を少しでも借りて、生活を豊かにできればと紹介させていただきました。


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